8 月 28th, 火曜日, 23:27 pm, 2007,

本物とニセモノ

ブランドとニセモノのその葛藤の背景には、いつも貧富格差の問題が顔を覗かせる。


ガイアの夜明けを視ていた。
複製品が氾濫する中国。「求める者がいるから、それを作る者がいる。」
的を得ている。
ブランドのニセモノは、ブランドと似ていればいいという価値観によって支えられる。

複製品を作っている人は、テレビに映るその顔を隠そうとはしない。テレビに映ることでその違法性を当局に罰せられるリスクがないからこそ、テレビ局も次々に違法の諸ワザを映し出す。

ブランドに対する支払いは、その信用力であると共に、自らもその文化を支える賛助者として、その価値を享受する。

本物とニセモノ。創造は模倣の繰り返しであると言われるが、ブランドの模倣はそこに「儲かるから」という裏ビジネスが顔を覗かせる。

儲かるからコピーされていく偽造品は、一面その本物を普及させていく役割も担う。裏ビジネスのうさん臭さを外せば、模倣はその価値を示すバロスメータとして、文化を支える欠くことのできない営みでもある。アートの世界においては、如何に模倣されていくことが多いかで、その真価が問われることも少なくない。

裏ビジネスのうさん臭さを脱臭するには、それを買う人たちが本物をサポートするだけの経済力と精神性を身につけていけばいい。
でもそれは容易ではない。

ある意味で、ブランドはある一定の富裕層が存在することを前提に成り立つ人為的な文化だ。テレビ取材で次々に出演してきた、「生きる」ために模倣品を作り続ける中国の人たち。

ブランドとニセモノのその葛藤の背景には、いつも貧富格差の問題が顔を覗かせる。

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