7 月 21st, 土曜日, 22:48 pm, 2007,
ゆるやかに始める家族の絆を見つめ直す時間
これから一緒に過ごすことのできる限られた時間を、もっともっと大切にしていきたいといま切に感じ始めております。
今日は日中、久しぶりに母が訪れてきておりました。
おいしい料理の素材が手に入り、母に食べさせたいと思ったのですが、私が実家に戻りづらい状況がありました。
母は元気に私のアパートまでたどり着いたのですが、途中少し気になることがありました。
1.最寄駅の公衆電話から電話をかけてきて、下車するバス停の名前がなかなか正確に復唱できない。(少し長いことは長いのですけど。)
2.待ち合わせたバス停で私を待たずに、さっさと直接アパートまで来てしまった。(合いカギを使って私の部屋に入り、行き違ってバス停で待っていた私に、アパートから携帯に電話をかけてきました!)
これ以上この場での詳しい記載は無意味のように思われますので割愛しますが、平たく言うと、母のコミュニケーションの力が弱まってきているように思うのです。
「老い」は誰にでもやってくるものですが、身近な存在である母にも例外なく訪れてきていることを感じた一日でした。
老いを迎えて、身体機能の衰えることが一概にわるいことのようには思っておりません。誰にでも間違いなく(通常は順番で)訪れる「死」を迎える準備として、大切なプロセスのようにも思います。
身内にたとえ微細でも「体の弱まり」の兆候を感じ取ることができたとしたら、それはむしろかけがいのない時間を改めて振り返るひとときとして受け止めてみてもいいのではないかと思います。
これから一緒に過ごすことのできる限られた時間を、もっと大切にしていきたいといま感じ始めております。
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