11 月 14th, 火曜日, 14:15 pm, 2006,

いじめられる環境を肥やしにする心の土壌。

連日のように報道される「いじめ自殺」。今日はそれについて少し触れてみたい。

ボクはいじめを受けた経験がある。小学生の時も、中学生の時も。環境が変わってもそうした状況があったということは、本人にも何らかしらそうされる理由があったのだろう。

最近のニュース報道を視ていると、いじめがあったかどうか、誰がいつ何を言ったか、とかくに事実関係を明確にすることに焦点を当てられる。「事実を伝える」ことを使命とするニュース報道において、それは仕方のないことだ。

しかし、いじめという問題が人の内面の奥底に潜むものである以上、それを取り出してスグに煮たり焼いたりできないのも事実だ。いじめは人の心理的内面の問題として捉えていかなければ、根本的な解決には近づかない。

話が長くなるのでポイントを一つに絞ると、何らかしらの理由でいじめを受けてしまう子の心の育み方。「いじめっ子」というのは、今も昔も変わらず存在する。それを受け止める「いじめられっ子」がどう心を育むか。

いじめられるという体験が、人生の肥やしとなるようなそうした体験に転化できる心の強さを、内に秘められないものか?もちろん、「いじめっ子」はいつでも「いじめられる側」になる可能性もある。だからすべての人にとっての問題だ。

いじめが避けられないのは仕方ない。いじめが続くことに耐え難きことも理解できる。いじめが悪質なのも大きな問題だ。そうしたプレーキの効かない心理、コントロールできない行動をとる子供がいることはそれ自身、社会問題だ。そうした病理の治療法は別の機会に譲るとして・・

そうした「社会現象」を一つの環境として強くやり過ごせる心を育てられるかどうかだ。自身のはかなき体験を振り返ると、いつも心にあったことは、心の奥底でどこかで「自然と対峙」していた。

10年前にこの世を去った父。私を幼少の頃よりスキーに連れて行ってくれていた。雪の冷たさ、不相応の上級者コースの急斜面。「生きる」ことを本能的に育んでもらっていたのではないか?

父にとっては単なる道楽だったかも知れない。でもそれがこうして今でも歯を食いしばって生きる大きな子供(?)に育っていることを思うと、無口で短気だった父がとても懐かしい。(笑)

少し回顧録になってしまったが、自然に触れるということは、「絶対服従」を強いる「矯正」教育ではない。あらゆる危険を回避して執り行なわれる過保護的体験の勧めともほど遠い。

人として本能を揺り動かされる営み。いつまでもずっとずっと大人になってからも心の奥底に眠っていて、何かの弾みにスイッチオンされて目を覚ましてくる無限の地に蒔かれし一粒の種。それは人として人が子供を授かり、慈しみ育てる家庭の中で営まれるゆっくりとした長い時間をかけて熟成されるものなのだろうか。。

この続きはもう少しボクが大人になってから。。(笑)

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  1.  若くして命を自ら絶ってゆく子供たちのことを思うと、とても心が痛みます。

     政治家がどんな法律を作ろうと、やはりいじめはなくならないでしょう。
     学校で居場所がなければ、せめて親には家の中に居場所を作ってあげて欲しいと思います。
     それが出来なければ、理解してあげられる大人に自分がなってあげたいです。

     いじめはものすごく辛いけど、実はほんの一時的なものなのだとも思います。

     学校なんてほんの人生の一部です。
     自然との対峙。とても興味深いです。

  2. モカさん、こんばんは。

    > 親には家の中に居場所を作ってあげて・・

    昨日、NTV系10時からの『14歳の母』をたまたま視ておりました。

    家庭は幸せを見つけられる大切な場所(にしていく処)なんだとつくづく思います。

    > 学校なんてほんの人生の一部です。
    ですよね。
    あまりテーマを広げられなかったけれど、「自分が主体的に関われるもの、自分が変えていけるものに果敢に取り組む」そんな生きる姿勢を、身につけさせてあげられたらと思います。学校ででも、そうでなくても。。

  3. 子供ほど動物性を発揮するんじゃないかと思っています。本能に従って弱い者や色の違う者をいじめる傾向があるのではないかと。
    政治的・道徳的・教育的には人間性を育てて動物性にブレーキをかける智慧をつけることは出来るけれども 根本的に無くすことは出来ないのではと思います。

  4. 岩田さん、こんにちは。

    「人間的であること」と「動物的であること」の価値観の棲み分けは、とても微妙な問題だと思います。

    少し外してしまうかもしれませんが、初めて勤めた会社の部長に、「生きる力の強い人間になれ」と訓示を受けたことが今でも忘れられないでおります。

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