味覚を情報デザインする
「味覚」でそのものが何であるかを、口に含んだ人にきちんと伝えることのできる「味」ってもっと追求してみたい。
カレーを作る。むし暑くなってきたときにカーッと辛さのあるカレーも身体をスッキリさせるもの。。でもボクの作るカレーはさほど辛くありません。
1.ニンニクを炒めて(お塩を少々)、
2.玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、りんごの順に具を入れながら炒め、
3.水を加える。
ここまではおそらく普通。
その後、みりんと黒酢で味つけをする。(通常カレー料理では使わないかも知れません。)多めに入れた水がやがて沸騰し、いい味を出す。そのまま「野菜スープ」としても十分いける。(じつはニンニクのみゴマ油で炒めています。)このまま醤油か味噌を入れて仕上げも有りだろう。
だけど方向転換をせずに、究極のカレー味を目指します。
4.おからを混ぜ、
5.カレー粉とガラムマサラ(カレー用スパイスブレンド)のみを入れて仕上げとする。
味は薄い。
とかくにカレーの味つけはこってりと「ルー」で決まる。こってり「ルー」に具が申し訳なさそうに味を主張するのが、通常のカレーの味だ。そのカレーのルーを入れないで、カレー本来の「味を調える」働きはどうあるべきなのだろう? と、カレー粉とスパイスのみで実験する。未だに「うす味カレー」のループから抜け出せすにいるが、野菜の旨みを引き出すカレー味って、どんな料理なのだろうか?
「味覚」をその料理に使われている素材が何であるかを知らせるメッセージとして受け止めてみるとき、この世にいかに「調味料」が大きな顔をして「味つけ」としてのさばっていることの多いことか。
からだの健康面から考えれば、素材の味をまるで違うものに変えて、「珍味」を作ることより、その素材のもつ味の特質を引き出すこと、「味覚」でそのものが何であるかを、口に含んだ人にきちんと伝えることのできる「味」ってもっと追求してみたい。その結果、食べれないものがあれば、それはおそらくは人間にとって、または自分にとって食べない方がいい食材なのではないだろうか。
ふだん本業で活字に追われる日々なので、料理は感性のバランスをと整える貴重な時間だと思いますが、同時に、料理は日常の生活の中で、野生の勘を取り戻す大切なひとときなのかも知れません。
PS.
今回はお肉を使わずに、おからを入れています。おからはとうふ屋さんで安く仕入れて、冷凍庫に入れたものを解凍しています。
カレー味にする一つの理由は、素材の生臭さを消すためであるとも考えられますが、そういう意味では、今回の調理にカレー粉を使用する理由は弱くなってしまうのかも知れません。
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