サッカーの技術水準に観る「凄み」のある人生
サッカーワールドカップで外せない視点は、サッカー水準の高さに観る、生きる力の強さと懸命さと、そして「凄み」だ。
大切なことは1対1で勝つことだ。
チームである前に、一人の闘士として力を発揮することだ。フィールドでも。フィールドの外でも。
ブラジル人と日本人。生きる土壌が違う。
さまざまな道を選択できる日本人。5教科9科目ほどの教養が身につくプログラムを少年期に消化し、将来の生きる道をさまざまに選択する可能性を許される(ことが多い)。
かたやブラジル人。物心ついた頃から、足でボールを蹴ることを生活の一部とし、人生の栄冠への道もおのずと限られる環境の子供たちも決して少なくない。
サッカーに托す気迫は自ずと違うだろうし、選出された代表チームのすそ野、それを支えるサッカー人口層の厚みもまたまるで違う。
W杯、ブラジル戦。
「筋書き」が読めても防げない前半終了間際の同点ゴール。
本物の大砲のように、回転しない弾丸と化したミドルシュートなど。
まざまざと見せられるプレーの質の違いは、両国民の環境差を黙せず語る。
「サッカーの神様」とも称される監督、ブラジル人のジーコ。すでに欧州から複数のオファーがきているという。
サッカーは二つのゴールと一つのボールを使ってコミュニケーションを取り合う世界の祭典。でもそうしたお祭りの水面下では、ビジネスの話しが暗黙裡に交わされる。
みな必至なのだ。一人の人間としてこれからどう生きていくのかと。だからこそ、4年に一度の祭典は多くの人を感動の渦に巻き込み、そして計り知れないパワーを生んでいく巨大な装置と化す。
サッカーワールドカップで外せない視点は、サッカー水準の高さに観る、生きる力の強さと懸命さと、そして「凄み」だ。
自分は何に気持ちを集め「凄み」のある人生にしていくつもりなのか。
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