3 月 18th, 土曜日, 11:42 am, 2006,

障がいは神との語らいのひとときと考えてみる

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自身のもつ障がいもまたそうした自己に課したまたは課せられた魂の宿題を全うするための一つの環境と捉えたとき、人知れずに障がいと向き合うことは、神様との語らいのひとときなのかも知れない。
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石田優子さんのクロスフィンガー、オフ会に参加しました。

著名な方も散見し、石田さんのご活躍の広さを改めて思います。
今回のオフ会のキーワードは、「障がい」。

私たちWEB制作に関わる者にとって、欠くことのできない視点。それが「アクセシビリティ」。

他の方は、自分と同じようにホームページを見られているかどうか。

その検証をどこまで保障するかが制作(コーディング)の生命線とも言えるほど大切であると共に、すぐに顕在化し難い地道な作業領域でもあるため、そのことをきちんと一般の方に伝えていくことも私たち制作に関わる者にとって大切な業務だ。

昨夜のオフ会では、実際に障がいをもつ方のご参加も多かった。お話をさせて頂きながら障がいのもつ意味を改めて考察してみた。

障がいの本質は2点。
1.人は誰でも障がいをもっている。
2.他の人の障がいを受容する心をどこまで持ち合わせるか。

障がいのお話はひと筋なわでいかない。
制度的な側面と、個人の意識的側面がある。

来月から障がい者法の改定が施行される。今まで別々に取り扱われていた「障がい」が、同じ範ちゅうで取り扱われるようになるというのがその主旨だ。でも当事者の胸中は決して穏やかではない。

そもそも今回の施行の目的は、障がいをもつ方により身近なところで、いつでも気軽にサービスが受けられるよう、障がいを持つ方々の受け入れ体制の間口を広げようというものだ。

でも、実際は・・と、障がいに関わる立場の違いで見解は異なる。

昨日お目にかかった方の一人にこんな方がいた。

自分は自身の専門領域の仕事をパーフェクトにこなせる。まったく支障がない。でも自身の部屋を片づけたり、洗濯・料理をするといった日常の生活を営む能力に欠ける。

ボクは障がいの専門ではないので、上記障がいが学術的にどうこうということは分からないが、次のような視点で整理を進めてみました。

一つは「精神障がい」といっても、さまざまであること。また、障がいといっても、知的障がいと精神障がい、肢体障がいそれぞれもまたまったく異なるということ。

その一方で、当人にとって、それは生活を大なり小なり阻む要因の一つであり、現在から未来に渡って、生活を営み続けることの不安要因の一つとなるうること。

障がいを、障がいを担う人が関わることで生じる「損失」の可能性を問うのではなくて、そうした方々が、健やかに暮らせるための受け止め方を、制度的に、また個人の意識として考えてみる。・・・・

障がいは、自身の問題でもあると受け止め、また手を取り合ってどう受け入れていくかを社会のしくみとしても考えていかないといけない。そのための今日の背景、個々の立場の方々の思惑を考慮した議論の吟味は、機会あるごとに考察していきたい。

これまでのお話から少し飛躍する印象をもたれるかも知れませんが、上記述をしながら次のような考察を哲学してみました。

障がいが障がいとして、負の側面ばかりをもつのでなく、それ自身が人として大切な環境であるかも知れない可能性があるということ。

人は生を受け、天寿を全うするまでひたすら生きる。生きることをどこまでも願い、そして手を取り合う。声を掛け合う。

人の魂はこの世に出でて、身体に宿るときに「課題」をもって生まれてくるという考え方がある。

自身のもつ障がいもまたそうした自己に課したまたは課せられた魂の宿題を全うするための一つの環境と捉えたとき、人知れずに障がいと向き合うことは、神様との語らいのひとときなのかも知れない。

輪廻の発想は、多くの方々に語られてきましたが、最近読んだ著作から、次の本がお勧めです。
『稲盛和夫の 哲学 人は何のために生きるのか』稲盛和夫著

哲学的な考察に入ってみましたが、いま障がいをもつ方々にとって大切な視点、シンプルであるがゆえに強いご提案。石田さんのブログもぜひご参照ください。
CFオフ会後イベント企画:4月5日、同時多発花見

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  1. 昨日はお疲れ様でした。障害者当事者として参加させて頂きました。あまり沢山話せなかったですが、今後共々よろしくお願い致します。

    私の場合、障がいは1つの個性だと思っています。私自身「障がい者」という言葉に拘るのは余り好きではありません。あの人はたまたま耳が聞こえないというようにとらえて頂いて、「障がい者」と一括りにするのではなくて共に生きていこう、コミュニケーションしていこうという姿勢が大事なのではないでしょうか。
    今後共々よろしくお願い致します。

  2. べぇぇさん、こんにちは、べぇぇさん、こんにちは

    昨日はご挨拶頂き有り難うございました。

    あまりお話はできませんでしたけれど、貴重なひとときを共有させて頂きました。主宰の石田さんにも感謝しております。

    > 障がいは1つの個性・・
    そうですね。自他にとって、受け止め方は一つの視点でしかない。その方の全人格的な存在の中で、その人を輝かせている持ち味になっているかも知れないですよね。

    これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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