【 師 ・ 工藤張雄(クドーハルヲ)先生 】 ちょこっとを大切にする
「さくらっ!」
一人の少女が突然、口を開いた。。
13年前のクドー教室での一幕。今でも忘れられない一声だ。
工藤張雄先生(以下、クドー先生)は教員を退職した後、『親と子の勉強会』を主宰していた。元教え子さんがご結婚して母親となり、子供が成長する。そんなご家庭を訪ねては、ご近所の方々も集めて、勉強会を開いていた。昨日のブログのように、集会所でたくさん子供を集められていたご父兄もいたし、ごく普通のご家庭でこじんまりと行うこともあった。上記ワンシーンは、クドー先生の豊島区椎名町の自宅を開放して勉強会を開いていたときのことだった。
当時ボクは数学の教員を目指して、大学に社会人入学をして勉学に勤しんでいた。28歳のときである。ある教職課程の単位を履修したことが御縁で知り合った「サコク」こと佐藤喜久雄先生に、「クドーシャ」ことクドー先生をご紹介された。
1年目の履修が終わった春先、ボクはクドー先生と出会い、そして大学を休学して、カバン持ちすることを決めた。そのときは漠然とした思いだったのだが、佐藤先生にはボクは「クドー先生を生涯の師匠として慕っていく」と告げていた。
クドー教室では、それぞれが自分の好きな勉強をする。子供に付き添ってきたお母さんも用意してきたノートと教科書を開いて、自分の勉強をする。そして時間を区切って、勉強の方法について、参加者全員がお互いに感想を言い合う。そんなスタイルだった。
少女はお母さんと小学1年になるお姉さんと千葉から、本部教室まで通って来ていた。年齢は、2~3歳。 「感想は?」と聞かれても、何を答えていいか分別のつく年ではない。
その日も、親子合わせて10名ほどの参加者がいて、「感想」を述べ合う時間がきて、順番に思ったままのことを発言していった。そして、少女の番が回ってきた。ふつうは、「みそっかす」。飛ばして、次の人にいくところ。でも、クドー先生はそれをしなかった。
待つこと、数分。。ボクには、何十分も時が経過したようにも感じた。でも実際は、ホンの2~3分だったのだろう。10人集まって、一人の少女の発言を待つ。とても長い時間のように感じた。時が静かに流れる。でも少女は固く口を閉ざす。もういいのではないか? とクドー先生の目を見やる。でもクドー先生は待った。
そして、突然、少女は口を開いた。
「桜!」
お母さんの膝の上に座っていたその少女は、手に持っていた桜の枝を心もち高く差し伸べた。眼が輝いていた。クドー先生は、「オーッ」と独特の声を上げた。そして歓声。拍手かっさい。
13年前の春先のできごとである。その年の3月にボクはクドー先生と出会い、そして9月に彼は他界した。たくさんの合併症を患っていた。でもそのほんの半年ばかりの間に、ボクは生命のリレーをした。晩年のクドー先生の生きざまを、カバン持ちとして薫陶を受けた。
いまはお世話になった佐藤先生ももうこの世にはいない。他の多くのお弟子さんたちがそうであるように、ボクもまたお二人の遺志を継いで、生きる。力強く生きる。大いに生きる。大きく生きて、生きる力の強い人間になる。その頃から、ボクの細胞の隅々を入れ替える「自分改革」が始まった。
tags: クドー式勉強法

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